Capitalism vs. the Climate
2011年11月09日 - ナオミ・クライン
原文:
四列目にいた紳士が質問を投げかけた。
彼は自分はリチャード・ロスチャイルドだと自己紹介した。彼は聴衆に、自分はメリーランド州のキャロル郡の郡行政委員会委員に立候補したと語りかけ、なぜなら地球温暖化に取り組む政策は、実際には「アメリカ中産階級の資本主義への攻撃」に他ならないという結論に達したからだと述べた。彼が六月の下旬、ワシントンDCのマリオットホテルに集まったパネリストたちに投げかけた質問はこういうものだった。「一体どの程度までこの運動全体は、その腹の中に赤いマルクス主義者の社会経済的な教義が詰まっている、ただの緑色をしたトロイの木馬なのですか?」。
ここハートランド協会(Heartland Institute)の第六回気候変動国際会議(International Conference on Climate Change)――人類の活動が地球温暖化を招いているという圧倒的な科学的合意を否定すべく血道を上げている人々の最たる集まり――では、この質問は、修辞的な疑問と見なされた。それは、ドイツ連邦銀行の銀行家たちの会議で、ギリシア人たちは信用ならないのかどうかを訊くようなものだった。にもかかわらず、パネリストたちは質問者に、彼がいかに正しいのかを述べる機会を逃しはしなかった。
クリス・ホーナー、競争的企業協会(Competitive Enterprise Institute)の上級研究員で、気候変動を調査する科学者たちを、やっかいな民事訴訟と情報公開法による法的尋問で困らせることが専門である彼は、テーブル・マイクを口元に曲げた。「あなたはこれが気候変動に関するものであることをご存じでしょう」。暗い影のある声で彼はこう言った。「多くの人がそれを信じている。だがそれは合理的な信念ではないのです」。ホーナーの年の割に早い銀髪は、彼を右翼版のアンダーソン・クーパーのように見せていた。彼は好んでソール・アリンスキーの言葉を引用した。「この問題は本当の問題ではないのです」。この問題は次のように見えるのだと言う。「自由社会はこの議題が要求するものを、独力で成し遂げることはできない……。それには先ず、その障害となっているやっかいな自由� ��取り除くことが第一段階となるでしょう」。
気候変動はアメリカの自由を奪うための陰謀だと主張することは、ハートランド協会の標準からすればむしろ柔順なものだと、二日間の会議を通じて私は知ることになる。地域主体のバイオ燃料精錬所を援助するというオバマの選挙公約は、本当には「緑色をしたコミュニタリアニズム」であり、「銑鉄の溶鉱炉を皆の裏庭に設置する」という「毛沢東主義者」の計画に類似するものだ(カトー協会(Cato Institute)のパトリック・マイケルズ)。気候変動は「国家社会主義の隠れ蓑だ」(元共和党の上院議員で引退した宇宙飛行士のハリソン・シュミット)。環境保護論者は、限りない人々を犠牲にして神を宥め、なんとか天候を変えようとするアステカの僧侶のようだ(否定論者の集まるウェブサイト ClimateDepot.com の編集者、マーク・モラーノ)。
刈り取り除去する方法
しかしながら、私がとりわけよく聴くことになったのは、四列目の郡行政委員会委員が表明した意見の少しだけ異なるヴァージョンだった。気候変動は資本主義を廃止し、それを何らかのエコ社会主義と取り替えるために設計されたトロイの木馬である。会議の演説者ラリー・ベルが、彼の新著「崩壊する気候変動(Climate of Corruption)」の中で簡潔に述べたように、気候変動は「環境の状態とはほとんど関係がなく、資本主義を束縛することにより関係しており、グローバルな富の再分配のために、アメリカン・ウェイ・オブ・ライフを変えようとするものだ」。
そう、確かに会議の代表者たちの気候科学への拒否は、データについての重大な意見の相違があるような振りをして見せている。そして主催者たちは、集会を「科学的方法の復権」と呼び、組織名として気候変動における世界的な権威であるIPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change)の一文字違いであるICCCすら採用して、ある程度まで信頼のおける科学的な会議を真似ようとしている。だが、ここで提示された科学的理論は古くもう長い間信用されていないものだった。そして、それぞれの演説者が次と矛盾するように見えることを説明する何の試みもなされなかった(温暖化が存在しないにしろ存在するにしろ、それは問題ではないではないか?もし、温暖化が存在しないのなら、これらの太陽黒点が気温を上昇させているとかいう話は一体何なのか?)。
実際のところ、ほとんどが年輩の人々である聴衆のいく人かは、気温のグラフが投影されている間、居眠りをしているようだった。彼らは、この運動の「ロック・スター」たちがステージに登壇する時だけ活気づくのだ。Cチームの科学者たち ではなく、モラーノやホーナーのような、Aチームのイデオロギーの闘士たちだ。これこそがこの集会の目的である。今後に備え、頑強な保守派の否定論者たちに、それを使って環境保護論者や気候科学者たちをぶちのめすことのできる、修辞的な野球バットを収集するためのフォーラムを提供することが。ここで試された論題たちは、やがて「気候変動」や「地球温暖化」という言葉を含む、全ての記事や YouTube の動画のコメント欄を溢れさせることになるのだ。それらはまた数百人の右派のコメンテーターや政治家の口から飛び出すだろう。共和党の大統領候補であるリック・ペリーやミシェル・バックマンから、ぐっと下がってリチャード・ロスチャイルドのような郡行政委員会委員まで。会議外のインタビューで、ハートランド協会の会長であるジョセフ・バストは、誇らしげに「数千の記事や論説、演説が……これらの会議の一つに出席した誰かによって情報提供を受けているか、もしくは動機付けられている」ことは自らの手柄だと述べた。
市場の庭師は何ですか
ハートランド協会――シカゴに拠点をおく「自由市場のソリューションを促進する」ためのシンクタンク――は、2008年以来、時には年に二度、これらの懇談会を開催してきた。そしてその戦略は奏効しているようだ。一日目の終わりに、モラーノ――その主張は、真実のための退役快速船軍人の会(Swift Boat Veterans for Truth)が、2004年の大統領選挙時のジョン・ケリーを落とそうとしてした話を論破したことで有名になったこともある――が、一連のウィニングランで集会をリードした。キャップ・アンド・トレード方式?とっくに死んでる!コペンハーゲン・サミットのオバマ?とんでもない大失態!気候保護運動?ただの自殺行為!彼は気候保護活動家が自分を責めているいくつかの引用を(進歩派もよくやるように)投影すらした。そして、聴衆たちに断然として「祝おうじゃないか!」と勧めたのだった。
そこには屋根の垂木から降りてくる風船も紙吹雪もなかったが、あった方がふさわしかっただろう。
* * *
大きな社会的政治的問題に関して世論が変わろうとする時、その動向は相対的に漸進的なものになりがち� �。突然の移行がやって来る時は、普通は劇的な出来事によって引き起こされるものだ。それこそが世論調査員たちが、たったの四年間で一体何が気候変動に対する見方に起こったのか驚いている理由だ。2007年のハリスによる世論調査では、71%のアメリカ人が化石燃料の燃焼を続けることは、気候の変動をもたらすと信じていた。2009年の統計では、それが51%にまで下落した。そして2011年6月には、それに同意するアメリカ人の割合は、44%にまでに落ち込んだ。人口の半分以下である。民衆と報道のためのピュー調査センター(Pew Research Center for People and the Press)の調査研究理事であるスコット・キーターによれば、これは「近年の世論調査の歴史では、短い時期における最も大きな移行」だという。
更に著しいのは、この移行がほとんど全体的に一つの政治的志向の方向の下に起こったことだ。2008年(ニュート・ギングリッチがナンシー・ペロシと共に気候変動に関するTVスポットを行った年)までは、この問題はうわべだけであれ、二大政党の両方から支持を得ていた。そうした日々は明白に終わりを告げた。今日では、70~75%の民主党支持者もしくはリベラルを自認する人々が、人類が気候を変えていると信じている。過去十年間で依然として安定しているか、わずかだけ上回った水準だ。それとは鮮やかな対照を見せるのは、共和党支持者、特にティー・パーティ� ��の一員たちは、圧倒的に科学的な合意を拒絶する方を選んでいる。いくつかの地域では、わずか20%程の共和党支持者を自認する人々が、科学を受け入れているだけだ。
感情的な強度における移行も同様に著しい。気候変動はかつては、誰もが気にかけていると口にする事柄だった。実際にはそれ程多くなかったにしろ。アメリカ人が政治的な関心事に優先度を付けるように訊ねられると、気候変動は確実なまでに最後になるのだ。
ストロベリーグアバは何ですか
だが、今では情熱的に、執拗なまでに気候変動を気にかけているかなりの数の共和党の一団がいる――彼らが気にかけているのは、それが、彼らに白熱電球を取り替えさせ、ソヴィエト流の安アパートに住み、SUVを諦めさせるために、リベラルのでっち上げた「虚報」であることを暴露することではあるが。これらの右派にとって、気候変動に反対することは、低い税金や、銃器の所有権や、中絶への反対と同様に、彼らの世界観の中心をなすものになりつつある。多くの気候科学者たちが、殺害の脅迫を受け取ったと報告している。省エネルギーのような無害に見える題材の記事の著者ですらそうなのだ(空調を批判する本の著者であるスタン・コック� �の下に届いた手紙によれば、「俺の冷えて死んだ手から、サーモスタットをもぎ取って見ろ」)。
この強烈な文化戦争は、知らせの中でも最悪のものだ。なぜなら、彼または彼女のアイデンティティの核になっている問題について、その人物の立場に挑戦しようとすると、事実や議論が攻撃よりも意義が薄れてしまい、簡単に逸脱してしまうからだ(否定論者は、地球温暖化の現実を確認する、部分的にコッホ・ブラザーズによって資金提供を受けた新しい研究や、「懐疑的な」立場に同調的な科学者による新しい研究をはねつける方法さえ発見している)。
この感情的な強烈さの効果は、共和党をリードするレースにおいて余すところなく示された。大統領選に突入する日々の中で、彼の故郷である州が文字通りに野火で� ��えている中で、テキサス州知事リック・ペリーは気候科学者たちがデータを操作していると明らかにする根拠を喜び、こう言った。「そのために彼らはいくドルもの金をプロジェクトにつぎ込んでいるのだ」。一方、気候科学を一貫して擁護する唯一の候補ジョン・ハンツマンは、即死状態だった。そして、ミット・ロムニーの選挙戦を救ったものの一部は、気候変動における科学的合意を支持する初期の声明を遠ざけた彼のおそれだった。
だが、右派の気候に関する陰謀論は共和党の枠組みを越えている。民主党員のほとんどは、独立を疎外されることを恐れ、この件に関して沈黙を決め込んでいる。そして、メディアと文化産業も、それを追従している。五年前には有名人たちは、ハイブリッドカーに乗ってアカデミー賞に現� ��、『ヴァニティ・フェア』誌は例年グリーン特別号を発行し、2007年にはアメリカの三大ネットワークでは、147本の気候変動に関する番組が放送された。だが、それらは最早存在しない。2010年には、三大ネットワークは32本の気候変動に関する番組を放送しただけであり、アカデミー賞は本来のリムジンのスタイルに戻り、「例年」だったはずの『ヴァニティ・フェア』のグリーン特別号は、2008年以来現れていない。
この穏やかならぬ沈黙は、史上最大の暑さを記録した十年間の終わりまで存続し、更に変異種的な自然災害と世界的な記録破りの猛暑の夏を迎えている。一方で、化石燃料産業は、石油、天然ガス、石炭を、いくつかの最も汚染がひどく最も高リスクな資源から抽出する、数十億ドルの投資に殺到している(七十億ドルのキーストーンXLパイプラインはその最も顕著な例だ)。アルバータ州のタール・サンドで、ビューフォート海で、ペンシルヴァニアのガス田で、ワイオミングとモンタナの炭田で、化石燃料産業は、気候保護運動は死んだも同然だという方に大きく賭けたのだ。
これらのやる気満々のプロジェクトが二酸化炭素を大気に排出すれば、破局的な気候変動の引き金を 引く確率は、劇的に上昇する(アルバータ州のタール・サンドの石油採掘だけで、NASAのジェイムズ・ハンソンに言わせれば気候にとって「本質的なゲーム・オーバー」となるだろう)。
これらのことが意味するのは、気候保護運動は大々的に巻き返さなければならないということだ。それが起きるには、左派は右派から学ばなければならない。否定論者たちは気候を経済に結びつけることで勢いを得てきた。気候保護は資本主義を破壊する、と彼らは言う。雇用は生まれなくなり、物価は上昇するだろうと。しかし、今では、より数多くの人々が「ウォール街を占拠せよ」の抗議者たちに同意し、それらの多くは通常営業の資本主義そのものが、雇用の喪失と借金奴隷の原因だと議論しており、経済の領域を右派から奪い返す ユニークな機会が生まれているのだ。そのためには、気候危機へ本物のソリューションを提供することは、より開化された経済システム――根深い不平等を終わらせ、公共圏を強化し変容させ、豊富で尊厳のある労働を生み出し、ラディカルに企業の力を制御するもの――を築くことが私たちの最良の望みでもあるのだという、説得力のある議論を組み立てることが要求されるだろう。それはまた、気候保護運動が進歩的な注目を奪い合う価値ある理念の長々とした一覧の中のただ一つの問題だという、観念を捨てることを要求するだろう。気候変動否定主義が、全くのところ力と富の現在のシステムを防衛することが絡みつつ、右派の核となるアイデンティティの問題となったように、気候変動の科学的現実は、進歩派にとって、抑制の� ��い貪欲と真のオルタナティブについての首尾一貫した物語の中心部分を占拠すべきなのだ。
そうした変容力のある運動を築き上げることは、最初にそう思われるほどには、難しくないのかもしれない。実際のところ、ハートランダーたちに訊ねるならば、気候変動は何らかの左翼の革命を実質的に不可避のものにしており、それこそまさに彼らがその現実性を否定しようと断固たる態度を取る理由なのだ。おそらく、私たちは彼らの理論をもっと近寄って聴かなければならないのだろう――彼らは左派がまだ理解していない何かを理解しているのかもしれないからだ。
* * *
訳者コメント:
彼女のTwitterによれば、ナオミ・クラインの次回作の一部もしくはその草稿のようなものであるらしい「『資本主義』対『気候変動』(Capitalism vs. the Climate)」と題された長文論説を訳したところまで公開。訳した分だけ公開していく方針なのでたまに更新されていないかチェックを。文字数制限のためコメントは割愛。表記の不統一などは後でチェック。目次はこちら。
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