航空自衛隊の田母神幕僚長の懸賞論文問題について、新聞やテレビの報道を見て、なにか釈然としないものを感じながら、それが何であるかがよくわからなかった。
まあ、いいけどさ、とやり過ごしていたのは、たぶん、自分なりの考えをまとめるためには、やはり田母神論文なるものを一応は読むべきだろうなあ、と思って、しかしそれがあまり気の乗らないことだったからだろう。
しかし、テレビで見ただけだが、この人物と、これをどうやら叱っているつもりらしい国会議員たちの風貌や言動を見ていると、わたしには命令に従わせるべき軍人に、国民の代表たちが言い負かされているように見えた。一言でいえばたよりない。こんなやつらで、ほんまにだいじょうぶかいな。
今日、村上龍のメールマガジンJMMで、評論家・会社員という肩書きで寄稿している水牛健太郎氏の「田母神論文問題――浮き彫りになる政治とメディアの危機」というエッセイを読んで、ああ、そうだな、これがもやもやのポイントだったんだなと思った。JMMはその公式サイトでメールマガジンに発信したエッセイを毎週掲載しているので、おそらく来週にはメールの購読をしていない人にも読めると思う。
わたしが思うに、この水牛健太郎氏の文章のポイントは、次のようなところではないかと思う。少々長いが引用する。
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日本の過去に対する考えは人それぞれであり、国内に大きな世論の分裂を抱えている。しかし、村山談話と言われる一つの立場を政府が国際的に打ち出し、それを基礎として周辺諸国との関係構築を進めてきたことは事実だ。国際政治において、過去の歴史に対する見方は外国との関係構築の基盤となるものであり、現実的な意味を持っている。好むと好まざるとに関わらず、ある一つの歴史観の上に日本の国際的立場が築かれてきた。田母神氏の行為は、そうしたこれまでの積み重ねを危険にさらす。
村山談話に対する異議があったとしても、その議論は、政治の場でなされるべきである。文民統制の対象である自衛隊員は、この議論に公に参加する資格はない。自衛隊員は政治的な意思決定とは距離を置き、自分の職務を着実に果たすことが務めである。現在の政府の立場と異なる意見を公に表明する自衛隊員にも言論の自由は保障されているので、逮捕されることはないが、自衛隊員としての適格性がなくなるので、職を失うのは当然と言わなければならない。
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つまり、今回の問題では、田母神氏の主張の具体的な内容の一つ一つが問題なのではない(だから、この文章でも、田母神氏の論文の内容を検討する事はしていない)。
この問題は、国家運営に関する原理原則の問題である。統一された政治意思のもと、海外との関係を構築していくという、国家のあるべき姿をいかに守っていくかが問題とされているのである。
ここで、わたしが思い出したのは、マックス・ヴェーバーの『職業としての政治』だった。
政治家の職分・責任・倫理と官吏の職分・責任・倫理について書かれたものがあったな、と思った。探してみた。ここの箇所だ。
官吏にとっては、自分の上級官庁が──自分の意見具申にもかかわらず──自分には間違っていると思われる命令に固執する場合、それを命令者の責任において誠実かつ正確に──あたかもそれが彼自身の信念に合致しているかのように──執行できることが名誉である。このような最高の意味における倫理的規律と自己否定がなければ、全機構が崩壊してしまうであろう。
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マックス・ヴェーバーがここでいっていることは、もちろん文民統制についてではないし、ここでこれを想起することが、適切なのかどうかもよくはわからない。たぶん、適切な連想ではないだろう。
しかし、わたしなりに考えて言えることは、国会議員は、国民の代表としてこの田母神という軍人を、気概と信念とをもって、叱り飛ばす必要があったということだ。
それは、わたしの大嫌いな政党なんかが言っているように、かれが間違っているとか、思想的に問題があるから、ということではない。そんなことはここでは問題ではない。国家意思という権威に対する服務規律の問題である。
あくまで国に仕えるつもりならば、自分の個人的な思想信条と明らかに異なる見解を政府が出しても、公式にはあたかもそれが自分自身の信念に合致しているかのように仕えなさい。もしそれができないなら(人間としてはそんなことはできないという場合が多いだろう)、もし政府見解は間違っていると公の論文などで批判したいなら、まずその地位を離れてから主張なさい。その地位を保って、しかもその仕える政府の見解を否定するとは、なにごとですか。この点についてあなたは申し開きができるのか。
そういうふうに聴聞が行われたとすると、たとえばわたしが田母神氏ならどうするだろうか。ふたつの道がとりあえず考えられる。
その一。たしかに、その点に限っては、わたしの不心得でありました、と誤りを認めて謝罪する。
そのニ。いいえ、そうは思いません。政府の見解や方針そのものが「正しくない」と信じる場合には、国の高官はあえてその立場に留まれるだけ留まって、良心にしたがい「正しい」と信じる行動をするべきです。かつて第二次世界大戦で杉原千畝がしたように。すべては歴史が判断するでしょう。
後者の場合は、あきらかに確信犯で、現政府への反逆ですから、即刻、懲戒免職にすべきでありましょう。前者の場合も、当然、相当の処分を行うべきである。
そういう議論を、堂々と国会でわれわれ国民にしかと見せて、ありゃ田母神のほうが正論だよな、などという意見が世論になるようなことがないようにするだけの、真に言論だけで立てる政治家は、いまの日本にはいないのかなあ。
いないんだろうなあ。
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